昨日、2018年のM-1を観たんですよ。なんか。流れで。
で、思ったんです。
ハゲてることを自虐するのって、そんなにおもしろいか?と。
ハゲに希少価値はない
2018年のM-1は、とにかくハゲ自虐ネタが多かった。
ハゲって笑いに使われがちですけど、正直、別に珍しくないじゃないですか。むしろ道歩いてたらハゲしかいない。希少価値がまったくない。
珍しい身体的特徴をネタにするなら、まだわかる。いい例えが全然出てこないけど、うーん、たとえば乙武さんの「手も足も出ない」とか?
乙武さん、わたしはめちゃくちゃおもしろいと思います。唯一無二性がすごいもん。
でも、ハゲには全然目新しさがない。自分の性別を自虐してるのと一緒で、自虐する意味がまったくない。
ハゲてるだけでおもしろいんなら世の中戦争起きないでしょ。
ハゲを気にしている人もいる
もちろん、珍しくないから笑いにしちゃいけないってことはない。
でも、そもそもハゲって比較的センシティブな問題じゃないですか。気にしている方が多いというか。
そういう「人によっては欠陥と感じることもある身体的特徴」を笑いにするの、もうそろそろダサくない?
じゃあ乙武さんはいいのかっていうと、それは全然問題ない。彼自身が、彼の身体的特徴を欠陥だと感じていないから。
あと何より大切なのは、乙武さんの発言は、自虐ではなくブラックジョークであるということ。乙武さんは、身体的特徴を卑下する笑いはとっていない。笑われじゃなくて、ちゃんと笑わせにかかってる。
これが「どうせ手足ないし」的な自虐になってしまうと、受け手も、手足がないことにマイナスイメージがついてしまう。
ハゲネタも一緒だと思うんですよね。そして、2018年のM-1はブラックジョークではなく、自虐のオンパレードだった。
笑われることと笑わせること
わたしはあまりお笑いを観ない、というかテレビを観ない人間で、なのでM-1も全然詳しくないし2019年も観ていないので、そんなやつがどうこう言う話じゃないのかもしれない。
でも、それでもやっぱり、笑われることと笑わせることは違うんじゃないかなって思うんです。
ハゲを気にしている人が多いのは、絶対的な自分の理想像がある完璧主義者が多いからじゃなくて、それを笑う風潮があるからだと思う。
おもろいネタもたくさんあっただけに、2018年のM-1を好意的には観られないことに対して、なおさらモヤモヤが残っています。
まあわたしが観たのは2018年のM-1だし、昨今のお笑い事情はもっと違っているのかもしれないけれど。
でも、せいぜい2年前ですからね。価値観遅れすぎでは?
お笑い芸人なら、笑われじゃなくて笑わせにきてほしいですね。とりあえず、わたしはわたしの身体的特徴が自虐ネタに使われてたら不快。
それだけ。ではまた。